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倉田翠さん演出舞台「今ここから、あなたのことが見える / 見えない」レポ?③

さて、ようやく肝心の公演内容について触れる。


ざっくりした内容としては、普段お勤めをしている出演者さんたちが自身の仕事や家庭といった外的環境と内心の擦れる様子等々を独白、ダンス、朗読、寸劇、体操、歌、パネルに映し出された文章などで表現するステージ、といったところだろうか。

字面にするとなんだか独りよがりかつ共感性羞恥の浮かび上がりそうな拙いお遊戯会のようだが、全くそんなことがなかったのが本舞台の驚嘆すべきところである。

私は人間のありのままの個性を自然なかたちで保ったまま、とびきりの芸術を生み出した例を他に知らない、そう感じた。

舞台上では、ダンサーと働く演技をする人と歌い手とカートで人間を運ぶ人がそれぞれ動き回るなど同時多発的にさまざまなことが起き、さまざまな音が鳴り、ライティングによりさまざまな陰影が生まれる。その掛け合いぶりが一見ばらばらのようなのにすごく見事なのだ。

現代アートコンテンポラリーダンスも理解できないパンピー(死語)にすら枯山水とかそういうものを彷彿とさせる巧みな芸術だと悟らせるような演出は見事だった。

そして本当にすごいのは、それでもって本舞台には、従来の優れた舞台芸術に垣間見える息苦しさや統制された気配を微塵も感じさせなかったことである。


「個性」を謳いながら、その実主導者が何もかもを統制するような場所は世の中に溢れかえっている。職場、学校、舞台だってそうだ。息苦しい。息苦しいが、統制を加えなければ私たちはうまく演じられないから、個性を殺されても仕方ない。真の個性なんて甘えだ。幼稚園のお遊戯会にだって厳密な振り付けがあるし笑いたくなくたって笑顔を作る必要がある。

そんな潜在的な価値観が本作によって揺さぶられた。


出演者はみなすごく生き生きとして、しかし芸術としての美しさも兼ね備えられていた。

ありのままの個性ってここまで素敵に表現できるものなんだ、という驚きは、私だけではなく、個性を殺され続けた大人たちに響くものだったと思う。


本舞台は、また、明確な終わりがなかった。

しかし唐突に終わってしまったような感覚もなかった。

なんだろう、私は、この舞台は幕が上がっても日常に溶けて続いているような気がした。

本舞台では「普通の大人」が思い思いの表現をしていて、そこには私たち観客それぞれもパフォーマーとして組み込んでくれそうなあたたかい余白があった。


「今ここから、あなたのことが見える / 見えない」は固定観念を変えるすごい舞台でした。

倉田翠さんの大ファンになりました。

うわー、この感動を伝えたいのに月並みなことしか言えない。


関係者のみなさま、素晴らしい舞台をありがとうございました。