旅するマラカス

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「山田せつ子&倉田翠ダンス公演 シロヤギ ト クロヤギ ト」みた

山田せつ子さんと倉田翠さんによるダンス公演「シロヤギ ト クロヤギ ト」、7/17(日)15時の回を観に行きました。

ダンスの公演を見に行くのは、プロバレエダンサーになった友人のバレエ教室公演以来で、ダンスのなんたるか?もよく分かっておらず、どきどきでした。

連日の激しい雨もやみ、記憶に残るような晴れやかな天気の神楽坂はとても軽やかな雰囲気で良かったです。

舞台鑑賞って、公演そのものだけではなく、その前後の体験もワンセットな気がします。


席に座り、パンフレットを読みます。パンフレットには、山田せつ子さんと倉田翠さんの内面、経験のいろいろがとても生き生きと綴られていて心を鷲掴みにされました。

なんとなく、ダンスって型から入るというか、おそろいのリストバンド(星柄)とかしたキッズダンスの「ワンツーステップ」みたいなやつからしか始められないような偏見を抱いていたのですが、山田さんのダンスの出会いがわりに遅く、かつ、別物に変化する、他者の意識を形にする、ということが糸口であることに衝撃を受けました。

そして、ダンスってそういうものとして認識してもいいんだ、と思えました。よく分からないですけど。

それから、倉田さんのダンスとの関わり方をより深く知れて良かったです。献血、食、いろいろ、踏みしめて、ダンスしながら歩んでいったんだなあと感じて、勝手に心をぽかぽかさせてました。

そして、いよいよ公演が始まります。

初めに登場した山田さんとガーベラとの間に、銃声でも鳴り響くのではないかという不思議な緊張感が(たぶん)あり、その後、ゆるやかな踊り、はげしい踊り、語る倉田さん、語らない山田さん、ベトナム戦争、家族の話、行き交う靴、壊れたラジカセのように繰り返されるラジカセのお話、肉体、弾む息、弾む息に呑まれるような暗転、「ありがとうございました!」という終わりの後のあっという間の挨拶、

「シロヤギ ト クロヤギ ト」は、ゆっくりした、どこか不穏な表現に焦らされて焦らされて、そうかと思えば期待と不安を巻き取ってフッと終わりを迎えてしまったような、緩急が印象的な公演でした。

また、二人の立ち位置が絵画的な構図になっていて、心のシャッターを切りまくりたくなりました。


あとこれは私的なあれ(どれ?)なんですが、会場は満員御礼で、いろいろな人がいて、後ろに座るご年配の方が「伊勢丹」とか「お世話になってる〇〇先生や××先生が」みたいな、現実を生き抜いた立派な地位を持つ人間的会話をしていて、それは私が秒で逃げた弁護士事務所所属の元弁護士会会長を彷彿とさせて、しかしその「伊勢丹」の人は、私が小説の世界で夢想した「感覚から始められるダンス」を一緒に見ていて……。

夢みたいなものと現実的なものがごちゃまぜに存在したのが、まさに?「シロヤギ ト クロヤギ ト」みたいな気持ちになりました。

あと、蛇足なのですが、パンフレットに掲載された、「ミスタードーナツに行ったら怒ってる人がいて、だけど怒ってる人も期間限定の蜜を後にかけて食べるタイプのドーナツを食べてるんだ」みたいな倉田さんの文章にほっこりすると同時並行的に、スタッフの方に矛盾した質問をしてキレて困らせてるお客さんに対し、同じ素敵な舞台をこの客が見に選んだことがムカつくクソがと憤るなど、

遠いものと近いものがぶつかり合う妙?を感じていたのでした。

兎にも角にも、素敵な公演をありがとうございました。