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【短編小説】秘密新聞


午前五時、アパートの一階に降りてダイヤル錠の郵便受けを開けた。雨除けのビニールに丁寧に包まれた新聞を取り出す。急いで自分の部屋に駆け戻り、ビニールを破って新聞を開く。一面の上に記載された「秘密新聞」の文字から順に素早く目を通す。
日本中のさまざまな人間の秘密が載った秘密新聞は、オカルトやSF的な代物ではない。秘密新聞の作成者は、プライベート機能付きのSNSやさまざまな店の予約サービスを含む多くのWEBコンテンツを運営している企業の元創業社長だ。各コンテンツに記録された膨大な個人情報を取り出し、人々のプライバシーを暴くことが可能なのである。
なぜ彼が一般的な新聞の購読料を対価に「秘密新聞」を発行し始めたのか、本当のところは分からない。だが、もっともらしい仮説はいくつかある。
「自社の粉飾決算の疑いで逮捕され、実刑を経て出所した彼は、実は無実だったのです。しかし、多くの人々が彼の言葉を信じず、メディアの情報を鵜呑みにして誹謗中傷を行いました。彼は同性愛者であることなど、たくさんの秘密を暴かれました。秘密新聞は彼の復讐なのです」
「金儲けをするつもりなんですよ。一般価格で秘密新聞を販売して、信憑性を多くの人々に確かめさせた後、購読料を吊り上げて、富裕層からさらにがっぽり搾り取る作戦に違いないでしょう」
秘密新聞の一面には、有名人の不祥事が載っているけれど、普通の新聞の社説に当たる部分には、毎日小さく名前も知らない一般人の秘密が実名入りで掲載されている。みんな目を皿のようにして秘密を読み込んでいる。インターネットにアクセスすると、その秘密が本当である証拠が山ほどアップされている。特定班が彼もしくは彼女の個人情報を暴いて拡散する。昨日は、美少女アイドルの枕営業が暴かれた。おととい一面に載った政治家は麻薬取締法違反で逮捕された。一週間前、ごく普通の女子高生、高橋美香さんが、アルバイト先のカフェの店長、五十代既婚、に片思いしていることが秘密新聞に載っていた。インターネットでは不特定多数の人間が高橋美香さんの個人情報を晒していた。全国のさまざまな高橋美香さんがあることないこと言われ続けている。毎日誰かが秘密を晒されて社会的に死んでいる。その秘密は本当のことかもしれないし、嘘かもしれない。人違いの可能性もある。それでもみんな構わない。構わないのだ。
俺も俺の秘密が暴かれたら「終わる」だろう。深刻な秘密だ。母は泣くだろうか。父は怒り狂った後、やはり泣くかもしれない。大学にも当然行きづらくなる。友人たちは乾いた笑みを浮かべるだろうか。俺は人違いだという言い訳をうまく口にできるように練習しておく必要がある。
息を詰めて一心に新聞をめくった。他人の秘密を手に入れる高揚感と、後味の悪さ、自分の秘密が暴かれていやしないかという恐怖に手のひらが汗ばみ、紙面がじっとりと濡れる。ああ、読み終わってしまった。
今日も俺の秘密は載っていなかった。そのことに深く安堵しつつ、どこか寂しさを覚えて、新聞を放った。俺は俺の秘密を絶対に知られたくない。けれど、知られたい気もする。だれか俺を見てくれ。通知ゼロのスマートフォンのホーム画面を無意味に指でなぞり続ける。誰か俺のことを知ってくれ。みんな俺の秘密を知らないんだ。なあ、本当の俺を見てくれよ。ああ、だけど、もしかしたら嘘の秘密が載るかもしれない。あるいは同姓同名のやつの秘密が載って知り合いに勘違いされるとか。そうなったら最悪だ。
ゴミ箱に捨てようと思い、部屋に放ったままだった新聞の雨除けビニールを手に取ると、中から一枚の紙切れが落ちてきた。
「秘密 私だけに打ち明けてください TEL 〇三‐××××‐△△△△」
インクの滲んだ汚い手書き文字だ。配達員が勝手に入れたんだろうか。
紙切れを握りしめ、狭いベランダに出る。ひんやりとした早朝のベランダには雨のにおいが残っていた。煙草を吸ってみようと思って以前コンビニで買ったライターの火をつける。結局煙草はまだ買えていない。殴り書きされた電話番号をしばらく眺めた後、ライターで紙切れをあぶった。
「あち……」
よく分からない鳥の鳴き声がする。燃えかすがアパートの下の植え込みに落ちる。今日の夕刊に、俺の秘密は載るだろうか。ひどい秘密だ。恐ろしい秘密だ。なあ、驚くなよ、俺の秘密は、実は、なんと……。