旅するマラカス

アカウント作り直しました/小説やエッセイなど書きたいものを載せます

倉田翠さん演出舞台「今ここから、あなたのことが見える / 見えない」レポ?②


※レポという言葉を使ってみたかったのでレポとしていますが実態は客観的なレポというより主観的なエッセイもどきかもしれません。すみません。

そういうわけで無事会場に着き、パンフレット等々を頂いた。

座席は二つの角度から舞台が見られる仕組みになっていた。席は自由。階段状の席と座布団の席がある。

本番で友人を見つけられたらラッキーくらいに思っていたのだが、視界のど真ん中でデカい生花の角度を調整しているところが目に入ってきたのでびっくりしてしまった。友人は黒い筒に上品な配置で生けられた淡い色の花たちをプロフェッショナル的まなざしで睨み、厳密な調整を加えていた。


あまりじろじろ見ては悪いと思い、席に置かれていた白地のリーフレットに目を通した。

載っていたのは倉田翠さんがこちらの公演の参加者を募集した際のメッセージだった。


すごい文章だった。

「東京の中心で働く皆様へ、」というタイトルのその文章は、なんだか厳しそうで格調高そうでよその世界に生きてそうな「3歳から舞踏の世界にいた人」に対する偏見に満ちた私的イメージをぶち壊してくれた。


まず驚いたのが、倉田さんが過去の回想として「ずっと、ダンス(仕事)が楽しくなかった。なのにダンスを作る人(この仕事をすること)になってしまった。仕方がない、もうそれしかできないんだから」と綴っていたことだ。

これは、のちに舞台時の友人のセリフにもリンクするものがあった。

お花をずっとやってきて先生にまでなり厳粛な顔つきで公演前に花を調整していた友人は舞台の上で、他人の中での自己イメージが「お花のひと」になることへの忌避感を語りつつ、「だけどやめ方が分からない」と声を震わせて語っていた。


私的な話ばかり交えて本当に申し訳ないのだが、私は親の経済上、思想上の理由から、小学校の高学年時だけバレエとピアノを習わされてもらったことがあった。バレエもピアノもずっと習いたかったけど習えなくて、やっと教室に通えたときは嬉しかったが、小さい頃からそれらをやり続けている人の中で私は当然ながら論外の落ちこぼれで、とはいえ「大人の趣味教室」に入れてもらえる年齢でもなく孤独だった。

バレエ教室では一人重たく醜い踊りを披露し、クラスメートから無視され、ピアノ教室ではコンクールを狙う小さな男の子の指導に自分の時間を食われた。

そういう経験をした私にとって、小さな頃から一つのことをやる環境にいた人というのは、私の配られなかったプレミアチケットを持って特別な席に案内される人という感じだった。

だから、彼ら彼女らの苦悩に初めて触れ、非常に驚いたのだった。


また、倉田さんの文章は丁寧でチャーミングで、「皆様」への愛に満ちていた。

「基本的には振付が嫌いですので、振付はしません。じゃあ何をダンスとしているのか。その人が、ただ生きていること、もしくは、日々隠している欠点とも言える振付以外の部分が、私には宝物に見えています」


なんと!


ダンスって、振り付けとか体幹とかそういう、ガチガチに技術的で厳密なものの上でしか成り立たないものだと思っていた。


倉田さんは、「スーツを着る」「職場に見合った喋り方をする」といった社会人の社会人的な仕草を振付のようだと述べ、そういった仕草の影にある「振付以外の部分」を「宝物」と語っている。


そういう人間の私的な部分の素敵さが、まさに「大手町・丸の内・有楽町で働く人たちとパフォーマンス?ダンス?演劇?をつくるためのワークショップ」成果発表公演であった本舞台にはぎゅっと濃縮されていた。

(つづく)




倉田翠さん演出舞台「今ここから、あなたのことが見える / 見えない」レポ?①

※レポというには混じりけがありすぎるかも。すみません。


友人が舞台に出るというので先日観に行った。

演出家、振付家、ダンサーとして活躍されている倉田翠さんが、働く人々と創作したパフォーマンス「今ここから、あなたのことが見える / 見えない」は千円札を握りしめて行けば観ることのできるたった1日きりの舞台だ。

恥ずかしながら、元演劇部員ながら部内の同期に馴染めず退部して以降過剰な自意識でもって舞台やアート関連の情報を遮断していた私は倉田翠さんを存じ上げなかった。しかしちょろっと調べたところ、3歳からバレエを習って今も舞踊を研究している、無知な私ですら「ライチ⭐︎光クラブ」より存じ上げている飴屋法水さんとコラボしている等々なんだかいろいろすごくて友人すげえとなった(最低)。


そういうわけで舞台やアートや友人へのコンプレックスや友愛の心を抱きつつ、席を押さえて頂き、有楽町へ行った。当日はアイスコーヒーが美味しい晴天だった。

(つづく)




原作厨だけど、うる星やつら再アニメ化を「大昔のアニメの焼き直し」とは言ってほしくない

寅年の始まりに合わせてうる星やつら再アニメ化が発表されたことはわりとホットなニュースだと思う。

代表作が良アニメ揃いのスタッフ、クオリティの高いキャストのティザー、4クール押さえ済みでエピソードは原作から抜き出したものを放映することが決定済ということに漫画うる星やつらファンの私は狂喜した。


しかし、テンションが上がってうる星やつら再アニメ化についての世間の声を調べたところ、「大昔のアニメを今さら焼き直して何になるのか」という意見が散見されたので、なるほど、と思った。たしかに世間一般的に見ると今回のアニメ化はありがちなリメイクという感じなのだろう。けれどそれは違うんだよ、と言いたい。

今回のアニメは、「漫画」うる星やつらにとっては初のアニメ化に等しいと原作厨の私は感じている。


言いたいことをざっとまとめる。

・旧アニメはオリキャラやオリジナルストーリーがふんだんに盛り込まれ、テンポやノリが原作とはかなり異なる(原作の短い1話をオリジナル要素で膨らませているので原作ファンからするとテンポが悪く感じられる)

・原作はあまり時代感を感じさせない仕上がりだが旧アニメは良くも悪くも昭和の男性オタク臭がすごい

→旧アニメファンはそこが好きなのだろうが、原作厨としては、時代を感じさせない魅力のある作品がいきなり古びてしまったような気持ちになってしまった

加えて原作の繊細さがアニメでは押井守臭にかき消されてしまったのが遺憾だった


★つまり

旧アニメは原作とはかなりテイストが異なり、平成〜令和の人間が見るとテンポの悪い仕上がりになっているため原作厨としては不満の残る作品だった


原作準拠でうまくつくってくれるのなら今見ても40年のギャップを感じさせない面白さのあるアニメになると思うので、原作のテンポ感でアニメ化してほしいと願っている

さらにこれを機により多くの新規ファンが増えたらいいなと思う



……… ……… ……… ……… ………


原作厨を連呼しているが私はうる星やつら世代では全くない。るーみっく作品が大好きだが、犬夜叉世代ですらない20代女だ。父親がうる星やつらファンで、物心ついた頃に読んだうる星やつらに衝撃を受け、そのままアニオタとは少し異なるうる星やつら厨になった。その後、鋼の錬金術師ジョジョ進撃の巨人などさまざまな名作を好きになったけれど、どんなに素晴らしい漫画やアニメに触れた後でも、うる星やつらを読み返すと、思い入れを除いても面白いな、と感じるのだ。

しかし、アニメだ。

旧アニメは旧アニメで熱狂的な信者が多く、それ自体がコンテンツとして独立しているのは理解はしているのだが、旧アニメの魅力である昭和オタク感は、原作のうる星やつらの大きな魅力である、時代を感じさせない独特の作風を見事に潰しているのだ。

まあ、原作も7巻くらいまでは昭和テイストが強く、いまいち面白くはないかな?という話もちらほらあるのだが、20巻代くらいになると、絵柄や物語が完全に独自の世界観を作り上げていて、永遠に連載できるドラえもん並みの域まで達している、といち原作厨は思っています。


そんなわけで、幼少期からうる星やつら=旧アニメ=昔のオタクが好きだった古い話でしょ?という認識に不満があり、うる星やつらの再アニメ化が夢だった原作厨としては、今回のアニメ化は泣くほど嬉しいです。スタッフの顔触れ的にも封神演義の二の舞にはならなそうなので期待しています。アニメがはじまったら新規の評判をTwitterとかで調べたいけど、「メガネの出番が減って寂しい」とか「あの時代は戻ってこない」とか「内容が(旧アニメと)違う、こんなのうる星やつらじゃない」みたいな旧アニメファンの嘆きで溢れかえってそうなのでやめておきます。 


スプーンがなくなる

それなりにストックを用意して、使うたび洗い、また台所の引き出しに戻しているはずなのにスプーンが少しずつなくなっていくのはどうしてだろう


【創作】醜い青年と異国の男娼の奇妙な交流

拝啓 親愛なるユリヤへ

君に手紙を書くのは初めてですね。僕はヨシヤ。五年前の今ごろ、ガリサ島で君の部屋に泊まり(といっても君の客としてではなく)、ペアゾーネ祭の晩を過ごしたヨシヤ・アカオです。


ユリヤ、お元気ですか。なんて、こんな挨拶をしたところで、この手紙が君に読まれることはないかもしれませんね。君は今や押しも押されぬスターだ。怪しげな被りもので常に素顔を隠した謎の特殊メイクアップアーティストの活躍をテレビで見て君の事務所宛にファンレターを出す人などいくらでもいるでしょう。つまるところ、この手紙を出したのは、全くの自己満足にすぎないのです。僕が容姿だけでなく、心までも醜かったのだなと君は軽蔑するかもしれない。それでも僕は手紙を書くことにしました。


だって君は赤鬼の被りものをしていたんだ。




五年前僕は、この醜い容姿と赤尾という名前から、幼い頃から赤鬼とあだ名されていたんだと卑屈におどけて赤鬼のストラップを君に渡しましたね。あのストラップは中学生の頃、クラスメイトたちが僕をからかうために渡してきた、ボトル飲料のおまけの品だったんだよ。僕はこのストラップが大嫌いで、それでも捨てようとすると奇妙な寂しさが胸に満ちるものだから捨てられずにいたんだ。だから君が存外喜んでストラップをもらってくれたときは、やっと重い荷物を一つ下ろせたような気がして安堵したと同時に罪悪感を抱いたものだ。

ねえユリヤ、君が赤鬼に扮してメディアに取り上げられていることと、赤尾吉矢が赤鬼のストラップを渡したことは、関係があるかもしれませんし、あるいは全くの無関係かもしれません。それでも僕は、テレビで君の姿を目にしたあの瞬間、君とまた話がしたくてたまらなくなったのです。





モーターボートからガリサ島に降り立った夕暮れの瞬間を今でも鮮明に覚えています。

寒気に包まれた二月のガリサ島は高く澄み渡った青空と凍てついた大地がどこまでも広がる静寂に満ちた場所でした。海のきれいなリゾート地として夏の間観光業で大きな利益を上げ、その蓄えで冬は巣ごもりするのがガリサ島の人びとの暮らし方だということを本で読んで知ってはいましたが、人ではないものの気配が冷たい潮風にのって地平線を切り裂いていく光景を実際目の前にするとやはり圧倒されるものですね。ボートを操縦していた漁夫のヤニスさんはなまった英語で「寒いだけでなんにもないつまらないところだろう」というようなことを言っていました。ですがさる事情から心身ともにひどく疲弊していた僕は、むしろその「無」に深い安堵と、神々しさすら感じていたのでした。


それからは君も知ってのとおり、僕たちは手違いによって出会ったのでしたよね。

雑貨屋のヨルゴスじいさんの慌てふためいた顔といったら!僕は、単に平和ぼけした世間知らずな日本人というだけではなく、色っぽい話にはいまいち興味がないたちなので、余計察するのが遅かった。君も、ヨシヤは本当に自分と同い年なのか、とおかしそうに笑いましたよね。君のあどけない笑顔が懐かしく思い出されます。


あの日僕は、ボートから降りた後、ヨルゴスじいさんのジープに乗って宿にチェックインする手はずだったのですけれど、ジープが宿のある中央通りを過ぎ、うみねこ丘陵をのぼり始めてしまったので、内心冷や汗をかきました。


「宿を過ぎてしまったんですけれど」

犯罪にでも巻き込まれたらたまらないと思い、拙いガリサ語で懸命に訴えた僕をヨルゴスじいさんは「まあそういうこともあるさ」と笑い飛ばしました。


「つまり、手配上のミスってやつで。それにお客人、あんただってわざわざ宿を別に取るよりも、ユリヤのところへ泊っちまった方が経済的だよ」

どうせユリヤの世話になるんだからなとヨルゴスじいさんはにやにや笑いました。僕はじいさんの言っている言葉の意味が分からず、ただ目を白黒させていました。

そのうちジープはうみねこ丘陵を越え、崩れかけの煉瓦で縁取られた名前の分からぬ坂をのぼって行きました。ジープがようやく止まったのは、白い石造りの塔のような建物が一軒建つ、小高い丘の上でした。

「ここの三階がユリヤの住み処だ」

じいさんはそう言いました。丘の上で僕はしばし呆然としていました。なにせそこは、君も知っての通り、とても美しい場所だから。


海辺に咲き乱れる白い水仙を近くで見たくて、僕は思わず丘を駆け下りました。あんなに息を切らして走ったのはいつぶりだっただろう、足を下ろすたび、地面に散らばった漆喰の壁の破片やウィスキー・オレンジに染まった煉瓦のかけらが軽やかな音を立てた、夢見心地で僕は海の水面を覗き込みました。海には水仙が逆さに映っていて、ため息が出るほど美しかった。けれど、よく顔を近づけて見つめていると、赤ら顔をした恐ろしげな男の姿が映り込んでいるのに気がついたので、ふいに現実に引き戻されたような気分になって、僕は待ちぼうけを食らわせられているヨルゴスじいさんの元に慌てて戻りました。


じいさんはぷりぷりと怒りながら僕を連れて塔に入り、螺旋階段をのぼり詰めると、その先にある白い扉を乱暴に叩きました。

「ユリヤ、いるんだろ」


そうして君が現れたのです。

こういうことは何千、何万回も言われてうんざりしているかとは思うのですが、初めて君の姿を見たときは面食らいました。何せ君は恐ろしく美しかったから。同性愛者でない僕ですら束の間見惚れてしまうほどに。ユリヤ、君は五年前、僕と同じ二十二歳の男性だったはずで、その年頃のガリサの男性といえばもうすっかり大人の男という風貌をしていてもおかしくないはずなのに、君は少年と青年の境目を揺らいでいるようだった。滑らかな褐色の肌、大粒のエメラルドのような緑の瞳、すっと通った鼻梁、甘い果実のような唇、上等な絹糸を思わせる巻き毛の黒髪。君の美しさを思い出すたび高揚します。しかし少し経つと、冷ややかな気持ちに沈むのです。人間は他人を面の皮一枚で神や化け物と決めつける。


「ああ、例の日本人の客ね。二泊で三百ユーロ、先払い」

眠たげに目をこすりながらガリサ語なまりの英語で告げたユリヤの言葉にひどく驚きました。三百ユーロは日本円で四万円弱です。オフシーズンのガリサ島への渡航費や宿泊費は格安のはずなのに、ぼったくりじゃないかと思った僕は慌てて「高すぎる」と叫びました。

「僕は素泊まりで二泊七十ユーロの宿を予約してたんだ。ほら、控えもある」

「いやあんた、ユリヤを買いに来たんだろう。どっちにしろ三百ユーロはかかるぞ」

「ユリヤ?」

ヨルゴスじいさんの言葉に僕は眉をひそめました。

「さっきから言っている、そのユリヤというのはなんなんですか?」

「なんてこった」じいさんの顔から血の気が引いたとき、君は腹を抱えてげらげら笑っていましたね。それを見たとき僕は、ああ、彼は人間なんだなあと肌で感じたんだよ。

「おいじじい、宿屋のばあさんは今どこにいるんだっけ?」

「お前は生意気な口をきくんじゃないよ。悪いね旦那、この時期にやってる唯一の宿屋のばあさんは今、イタリアの孫に会いに行ってるもんで。いやなにせ、冬のガリサ島なんてところにわざわざ来るのはユリヤの客くらいなもんだから……

「なあ、あんた、なんでこの時期にこんなつまんない島に来たんだよ。ここには本当になんにもないんだぜ」

「大学で地中海の島の文化を学んでいて……とりわけガリサ島の芸術や文学を熱心に研究していたんだ。だから卒業までに一度、ガリサの土を踏んでみたかった」

それまで僕は英語を使っていましたが、このときは慣れないガリサ語を使って話しました。だから本当はもっと拙い言い回しだったのでしょうね。

僕の目をしばらくの間黙っていた君は、やがておもむろに口を開きました。

「あんたさえ良ければ、二泊毎食つき百四十ユーロでうちに泊まらないか? 俺は料理の腕には自信があるんだ。素泊まりでもこの時期ろくな飯屋は開いてねえし、ヨルゴスじいさんの店で売ってる水は苔が浮かんでるぜ。なあ、じいさんも仲介料が減るが、勘弁してくれ」

「まあ、仲介料のことは仕方ないが……それにしてもユリヤ、俺んとこの水に苔が生えてたことなんかないぜ! 二、三回くらいしか」


ヨルゴスじいさんはおどけたように言った後、急に早口のガリサ語で「それにいいのか? 見ろよこの悪人面を。うまいこと言って値切った後お前を襲うつもりかもしれない」と君の目を見て囁きましたね。じいさんは僕には聞き取れまいと思ったのでしょうが、僕は耳が良いので聞き取りは得意なのです。


襲う、という言葉が頭の中で生々しく響きました。そうか、ユリヤは男娼なのか。それにしてもこのじいさんはユリヤのことを気遣う言葉をかけた。

それが君という人間への優しさなのか、はたまた商売道具に対する優しさなのか、ヨルゴスじいさんをよく知らない僕は分からなかったけれど(気に障ってしまったらごめんなさい)、とにかく君の待遇は悪くないのだろう、良かったなあ、と僕は思ったのです。それから君は嬉しいことをヨルゴスじいさんに言ってくれた。


「大丈夫だ、目を見りゃ分かる、俺はプロだぞ。こいつはいいやつだ」

本当に嬉しかった。第一印象で人に「いいやつ」なんて評価されたのは初めてだったから。



「客を取る部屋だからな、臭わなけりゃいいが」

暖炉の火の燃えるこざっぱりとした部屋に僕を招いてくれたとき、君は自嘲の言葉を僕に投げかけましたね。


「なあ、あんたは男娼を見たことがあるか? 大学生だっけ、ずいぶんと純朴そうだが、男に体を売って金を稼いでいる男を前にした感想は?」


僕は首をかしげました。もし僕がユリヤのように美しかったらきっとどこにいたって王様のように堂々と振る舞うだろうに、なぜユリヤは僕みたいに卑屈な目つきをして僕に値踏みされるのを待っているのだろう。君と僕は生まれ育った世界も容姿も違うのに、まるで鏡写しのようなところがある。

そんなことを考えていたものだから、僕は君の皮肉げな言葉に対し「感想か、そうだなあ」なんてぼんやりしながら言ってしまった。

「僕の外見じゃ男娼は逆立ちしてもできないだろうなあと思うから、不思議な気持ちだ」

そう言ってしまってから、僕ははっとして頭を下げました。

「ごめん、もっと、人道的な問題とか色々、ましなことを言うべきだったのに」

しかし、ユリヤ、君は怒り出すどころかむしろ、心の底から嬉しそうな顔をしてのけぞりながら大笑いしたのだ。

「そっか、そんなこと言われたの初めてだ。なあ座れよ」

柔らかな横長のソファの背を叩くと、君はどかりとそのソファに腰を下ろしました。

「なあ、俺はユリヤ。苗字のないユリヤだ。年は二十二。あんたは?」

「僕はヨシヤ。ヨシヤ・アカオ。君と同じ二十二歳だ」

ところで、苗字がないっていうのは?と訊いた僕に、君は「ヨシヤは大学でガリサの文化を勉強してたって言ってたけどさ」と巻き毛を弄りながら言いました。

「そういうのってたぶん、古代の都市文化なんかだろ? タライアス戦記とか、フェニアンの宗教画とか」

「ああ、そうだね。近代文化についても軽くは触れたけど、主に学んだのは古代文化かな。タライアス戦記やダフネス戦記における戦士と鳥の関わりの深さについてだとか、古代神殿があったこのテオ街区から出土された六十四の壺とか」

「それは表の歴史文化ってやつなんだよ。ヨシヤが言った通り、このテオ街区には神殿があった。二つの神殿が。一つは歴史に名前だけ残す大神殿、そしてもう一つは小神殿さ」

滔々とした語り口で君は小神殿の話を語り聞かせてくれましたね。水仙の花咲く海辺の小神殿には「巫女」の一族が住んでおり、街の男たちの体を慰めることを責務としていたこと。彼女たちは「神」の使いとして苗字を天に預け、全ての男の妻たれという教えにしたがっていたため、苗字を持たなかったこと。

「よくできてるよな。冬が厳しいばっかりの乾いた田舎町に娯楽場を作って、力仕事のできる男を誘致したんだ。まあ、大神殿にしたって俺にしたら同じようなもんさ。神の教えってやつは心を慰めるからな」


嘲笑混じりにそう言うと、君は立ち上がって台所へ行き、棚から栓抜きと酒瓶一本、グラスを二つ出し、ソファの前の木のテーブルにどんと音を立てて置きましたね。それから慣れた様子で手際よくコルクの栓を抜いたのです。


「まあ飲もうや、良い旅を祈って!」


乾杯すると、君はすぐにぶどう酒を飲み干し、台所で夕食の支度をし始めました。

何か手伝いを、と言った僕に君は、夕食ぶんの金ももらってるんだから黙ってのんびりしてなと優しく言いましたね。だから僕は濃厚なぶどう酒をゆっくり飲みながら包丁を持つ君の背中や、窓から見える絵画のような海辺の景色を眺めていました。


そこには奇妙な時間が流れていました。静けさが重荷にならず、むしろ心地良い。


ユリヤ、実を言うと僕が閑散とした冬のガリサ島を訪れたのは、大学でガリサ文化を学んでいたからというだけではなかったのです。自身の醜さから起きたある事件によって大学にいづらくなった僕は、好奇の視線と噂からどこまでも遠く離れて、とびきり静かな場所へ逃れたかったのです。



ユリヤ、赤鬼とあだ名されてきた、醜く恐ろしげな赤ら顔の僕はむろん異性の恋愛対象になったことがなく、また奥手な性格をしていることもあって、色恋とは無縁の人生を送ってきたんだ。

しかし大学四年生の十一月、二十二歳になったばかりのとき、僕は生まれて初めて女の子に二人で食事に行こうと誘われたのです。

夢かと思いました。彼女は同じ研究室に所属する同級生で、大学のミスコンテストで準優勝したことのある美貌と明るさを備えた人気者でした。彼女は僕の演習発表を誉め、僕とぜひ仲良くしたいと言ってくれました。華やかな青春を送りそこねた憂さを晴らすように研究に没頭していた僕は、心血を注いでいた演習発表を彼女がきちんと見ていてくれたということがとても嬉しくて、一気に彼女に恋をしてしまいました。


僕たちはしばしば学校外で会い、二人で出かけるようになりました。傍目から見れば美女と野獣というやつだったに違いありませんが、僕は舞い上がっていたため全く気になりませんでした。そう、僕は初めての恋、それも実る可能性のありそうな恋に夢中になるあまり、視野が狭くなっていたのです。彼女にクリスマスの予定を前のめりに尋ねてしまう程度には。


クリスマス、良かったらどこか一緒に行きたいな、という、今考えるとあまりにも自分勝手に浮かれたメッセージを送信して以降、彼女から急にメッセージが来なくなりました。また、学内でも姿を見ることがなくなりました。僕は彼女の身に何か起きたのではないかと心配して、二回ほど様子を伺うようなメッセージを送ったのですが、その翌日、学校で一度も話したことのないきらきらしい同級生のグループによって空き教室に呼び出されたのです。彼らは僕に、ストーカー行為はやめてほしい、彼女は怖がっているのだと言いました。彼女は院試対策のため、ガリサ文化研究の成果を教授に評価されていた僕に近づいていたに過ぎなかったのだそうです。

悲劇にも喜劇にもならない、恥ずかしいお話です。古来からさまざまな種類の劇が円形劇場で上演されてきたガリサにもこんな駄作はないでしょう。


僕は暗澹たる気持ちになりました。学内には醜い僕が美しい彼女にしつこく言い寄ったという噂が尾ひれをついて出回り、僕は研究室に足を踏み入れることができなくなりました。卒業に必要な単位は幸いにも全て取得していたので授業に出席する必要はありませんでしたが、ガリサ文化研究の第一人者の先生を追って大学院に進む気力が削がれてしまいました。


人は僕の容姿の醜さをそのまま悪ととらえるのだ。だがそれを責める資格がお前にはあるのか?お前だって彼女の容姿に惹かれていただろう。それに、容姿が醜くても魅力的な人柄で他者に愛されている人は世の中に少なからずいる。お前は甘ったれだ。だが、もし僕が、中身はそのままで、外見が美しかったら、美しいとまでは行かずともせめて今ほど醜くはなかったら、果たしてこうも激しく見知らぬ人びとから糾弾されただろうか?僕は頭がぐちゃぐちゃになりました。だから、何もかもを放り出して、ガリサ島へ旅立ったのです。


さて、窓の外の世界に夜の帳が落ちきった頃、ユリヤは夕食を運んできてくれましたね。

君の振る舞ってくれた食事は本当に素晴らしかった。僕は絵を描くのが好きなので旅記にしっかりと献立の絵を描き残していました。オリーブ、玉ねぎ、チーズ、ガリサ菜のサラダ、レモンの風味がきいたレンズ豆の煮物、ぶどうの葉に挽き肉と麦飯を包んで煮たガリサの有名な家庭料理のラクタリヤにライ麦パン。室内灯の下、君と雑談しながら食べた料理はどれもとても美味しくて、身も心も芯まで温まりました。


食事の後、君は部屋の棚の引き出しを開けて一枚の写真を取り出し、僕に見せてくれましたね。君によく似た美しい女性――君のお母さんが笑顔で写る写真を。


「巫女」は時代が下るにつれ神秘性が薄れ、ただ、代々売春を生業にする家になった。魚屋が代々魚を売り、木こりが代々木を切るように。


君のお母さんのマリヤさんが最後の「巫女」のはずだったんだと君は言いましたね。ところがマリヤさんが病で亡くなったとき、十五の君の姿を見たヨルゴスじいさんは、君に「巫女」をやらないかと持ちかけた。


「断ることはできた。だけど俺は怖かったんだ。今まで母さんと二人、社会の枠組みから外れたこの場所で生きてきた。それが今になって、賑やかすぎる社会の中でたくさんの人間に一度に揉みくちゃにされて生きていくのが怖くて仕方なかったんだ」


僕には君の気持ちが少し分かる気がしました。僕も、僕のまま、慣れた痛みを抱えているのに精一杯で、自分のことを醜いと蔑みつつ、整形をしようとはどうしても思えなかった。「赤鬼」であることは、僕の枷であると同時に盾だ。


そう言った僕に、君はありがとうと微笑んでくれましたね。


「なあヨシヤ、俺たち二人、どうしたって今の自分のまま変わることができないかもしれないけどさ、明日だけは、変わってみないか」


酒精に額を染めた君はいたずらっぽくそう言いました。

「というと?」

「明日はペアゾーネ祭の日なんだ。なに、テオ街区のささやかな風習さ」

そう言って君が通してくれたのは小さな物置部屋でしたね。絵の具や房飾りの材料、絵筆、工具などの並ぶその部屋の奥に山積みされた、奇怪な意匠の原色鮮やかな仮面や被りものに、思わず嘆息したものです。

「すごいなあ。これ、君が?」

「作ったんだ。ペアゾーネ祭の日にはみな、神や鬼の面で顔を隠し、手袋や首巻で素肌を晒さないようにして、なるべく沈黙を守りながら過ごすんだ。異形から身を守るために。限りなく地味なハロウィンってところだよ」

この面を売って生活のささやかな足しにしているのだと言いながら、君はきらきらとした目で面を見つめていた。


「ヨシヤ、俺は鬼の顔が好きだよ。恐ろしくて、個性的で、力強さがある。幼い頃からの憧れだ」


翌朝僕たちは、ゆったりとしたケープを身につけ、鬼を模した被りものをすっぽりと被って街へ出かけましたね。ガリサ人にしてはいささか小柄な君と、日本人にしてはいささか大柄な僕は、顔を隠すと双子のように似た体格になったので、僕らはびっくりして笑い合った。街には僕らのように祭りの扮装をしている者もいればそうではない者もいましたね。君と僕は、なんびとにも容姿を消費されることなく休日を楽しんだ。日が暮れ始めると、ユリヤは僕を野外映画場に連れて行ってくれましたね。ガリサ島の人びとが夜の闇に直接映像を映し出して映画を観るというのを本で読んで知ってから、一度実際に観てみたかったんだ。

映画を観終わって帰宅した僕たちは買ってきた酒を家で飲み、食事をし、いろいろ話して、風呂に入り、また飲んだ。そして気がつくと君はソファで酔って眠り込んでいた。


君に毛布をかけた後、僕は君から借りた被りものをつけ直して、しばらく鏡の前でじっとしていました。全てが名残惜しかったのです。君という友人との時間、ガリサの海風、「赤鬼」でいなくて済む被りもの。


僕を現実に引き戻したのはドアを荒く叩く音でした。ユリヤを起こそうかどうか迷っているうちに、ドアはさらに激しく叩かれ、やがて鍵がかかっているにも関わらず強引にドアが開かれてしまった。僕は慌てて台所から包丁を拝借し、玄関へ行きました。


玄関口に立っていたのは酒くさい大柄な男でした。チェーンがあったためかろうじて部屋に侵入はされませんでしたが、男はチェーンを乗り越えんばかりにドアの隙間に身を乗り出して僕をじろじろ見つめました。

「なあユリヤ! いつまで古くさい祭りの格好をしてるんだ。たまには俺と飲もうや、そんであわよくば……

男は被りものをつけた僕をユリヤと勘違いしたのです。

ひどい臭いのする息を吐いて下卑た笑いを浮かべた男のそのまなざしを僕は忘れません。

ああ、美しい人はこんな風に視線によって汚され、搾取されるのだ。ユリヤ、君は今までさぞつらかっただろう。僕もきっと君をすり減らした。うまく言えないけれど、そういうことを思いました。

あと、君が危険な目に遭っていたところ、こんなことを考えてしまって申し訳ないのですが、そのとき僕は自分の顔が「赤鬼」ではなくなったような気持ちになったのです。

僕の顔が僕自身含め誰にも見られなければ、僕は「赤鬼」ではなくなる。

そうして男が被りものの内側に隠れる僕の顔をユリヤの顔だと思っているうちは、きっと僕の顔はユリヤの顔なのだ。そんな考えが胸をよぎりました。


「なんだよ、黙ったままで、不気味だな」

もういいや、白けた。男は、ふいに酔いが覚めたような口調でそう言うと、千鳥足で踵を返してしまいました。僕はほっと息を吐くと、鍵が壊れたことをユリヤに報告しなければと思い、被りものを取った後に君を揺り起こしました。仔細を聞いた君は、まだ半ばまどろみの中にいるような目をしたまま「ありがとう」と笑いました。


「ヨシヤ、あんたは厄払いの鬼神みたいだ。俺の救世主だよ。なあ、古いガリサ語で、ヨシヤってのは神の子を意味するんだよ」


ユリヤ、すまない。君に謝意を向けられたあのとき、僕はただ嬉しいばかりではなかった。なんだか自分が、被りものを取ってもなお鬼の着ぐるみを着ているような気持ちになったのです。

君は僕の容姿が君の好む鬼に似ているから、僕を過大評価しているのだ。君が見ているのは僕ではなく僕の外見なのだ。本当の僕を知ったら君はきっとがっかりするだろうと思うと僕は恐ろしくなりました。たぶんこれが、美しい人の味わう感覚なのでしょうね。ああ、そしてやはり、君も俗世の人間なのだ。


この出来事が引っかかってしまって、君と別れるとき、僕はうまく笑えなかった気がする。そのことが後悔となって、ずっと頭の中にあったんだ。


ユリヤ、日本に帰った後、大学での出来事に加え、母が腰を悪くしたこともあり、僕は大学院へ進むことをやめて実家の文具店を継ぐことにしました。

昔から付き合いのある会社や近所の学校に文具を卸して生計を立てている小さな店です。客の少ないその店で、退屈ながらも穏やかな日々を過ごす中、僕は余暇の楽しみとして、紙が黄ばんだ廃棄品のスケッチブックを一冊もらい、以前よりも頻繁に、かつ集中して絵を描くようになりました。

デッサンの本も買い、我流ですがなるべく心で感じたものを紙に落とし込めるよう訓練しています。描くのは花や猫などです。また、油絵具を使って夕焼けの空を描きもしました。


美しいものが好きです。人を美醜で判断することの虚しさを身をもって知っていても、美しい花に見惚れるように、美しい容貌の人に見惚れます。大勢の人がそうであるように。君が、君の価値基準において、そうであるように。そのことの善し悪しなどについて、僕は考えても考えてもまだよく分かりません。しかし、最近やっと思えるようになったのです。ユリヤ、君の豪快な笑い声には、気安い冗談には、容姿の端麗さとは異なる美しさがあった。ねえユリヤ、僕は、どんなにつらいことがあっても、さまざまなことが不平等に思えても、目に見えない美しさを持った人でありたいと切実に願えるようになったのです。

子供だまし、きれいごと、そういうものに、一周回って人は行き着き、結局は純粋な願いで心を満たすものなのでしょうね。


ユリヤ、俳優たちに生き生きと特殊メイクを施す君は、鬼の顔をしていても美しかった。友人の活躍に、嬉しくなりました。これからも応援しています。遠く離れていても、どうかお元気で。



追伸

海に映る水仙の絵を描いたので、同封しました。君の家のそばに咲いていたものです。

それでは、今度こそ、さようなら。






【創作】推し活で病む女の子の話

『今日のために生きてた!』


入力、送信。SNSの書き込みは大げさになりがちなものだけど、この言葉は等身大の私の本心。


午後五時、ショッピングモールの渡り廊下には冷たい風が吹いて、赤いセットアップの襟ぐりから覗く素肌をいじめている。

もう十二月も近いのに服装間違えたかな。ううん、でも、今日は思い切りめかし込みたかった。


だって私は繰り返すようだけど、今日のために生きてたから。今日くらい生きていたかったから。


学校での私は死人のユーレイだ。

机の上に菊の花が飾られてないのは、菊の花を置くべき存在がいることにみんな気づいていないから。


第一志望の高校に落ちて滑り止めの私立高校に行くことになった時は正直かなり落ち込んだ。だけど気を取り直して頑張ろうと思った。あそこ、制服可愛いから袖を通すの楽しみじゃん。明るく振舞って無邪気におしゃべりして高校デビューしてやる。そう意気込んでいた。


でも、私の頭に仕込まれた歯車は人とは回り方が違うのかもしれない。


一生懸命喋ろう、仲良くしようとすればするほど周囲の視線が冷たくなって、いつの間にか私はドキドキしながら初めて話した隣の席の佐々木さんという女の子を元テニス部のギャルっぽい夏川さんに取られ、押せばしらけた空気になり、引けば存在を忘れられて、あれよあれよという間にすっかりひとりぼっちになってしまった。


中学の頃は、意地悪な人たちがいた代わりに、友達もわりといた。高校は逆。いじめはないけど、みんな、パソコンのキャッシュ削除とか朝の換気とか、そういう感じで集団に馴染みきれない私をはじき出す。自然の摂理か何かのように何気なく。

理由なんて分からない。急いでる時に限って目の前で青信号が点滅するような気がするのと同じ。理解の範疇の外だ。

私にどんな問題があるのかむしろ教えてほしいくらいだけど誰もそんなこと教えてくれない。残念ながら。


そんな日常を過ごしているとだんだん心が摩耗していくのが分かる。いつも緩やかに私は死を宣告されている。移動教室は地獄。女子も男子もみんな数人組で移動しているのに私だけ一人ぼっちだ。後ろ指はさされていないけど、影であわれまれてはいるかもしれない。 


一度、勇気を出して女子グループAに話しかけたらことがある。羽虫か何かを前にした時みたいにサッと距離を置かれた。


でも、確かに、気が落ち着くお決まりのメンバーに陰気な顔の死人が割り込んで来たらうんざりするんだろうなっていうのは私にも分かったから、次からは話しかけなかった。だいいち無理に話しかける方が惨めさ極まりますし。


とはいえ今は完全にどん底ってわけじゃない。

私には音楽がある。


いつものように乾いた気持ちで帰りの電車に揺られていた私の耳に飛び込んで来た「群れてる奴らに向ける拳を」という力強い歌声は目の前に座る大学生っぽい男の人のイヤホンから音漏れしたものだった。涙が出てきた。素朴な歌詞が、だけど、素朴だからこそまっすぐ、胸に突き刺さるのが分かった。


電車の中で急いで曲名とアーティストを調べた。

最近人気急上昇中の五人組ロックバンド、「ビターシュガー」。私もイヤホンをつけてその曲を聴いてみた。他の曲も聴いてみた。眦からボロボロと涙があふれて、他の乗客から怪訝そうな目で見られたけど、恥ずかしいと思う以上に心が激しく揺さぶられていた。爽快感があるのにどこかもの悲しい響きのあるギターのメロディ、心に直に沁みる歌詞と歌声、ちょっと浮世離れした雰囲気のキーボード、静かで落ち着いた音色のベース、緻密なリズムを刻んで個性豊かなメンバーたちの音色を一つにまとめるドラム。


その日以来昼休みに一人でいる時間の寂しさが少し和らいだ。イヤホンを付け、音楽の世界に入り込んでしまえば私は私のみじめな現状を忘れていられる。

それにSNSのアカウントも作った。趣味垢。趣味のアカウント。ビターシュガーについておしゃべりするアカウントを通じてSNSではファン仲間もでき始めた。



だから今日は本当に楽しみだったのだ。

ビターシュガーのライブの日。まあライブのチケットは抽選の倍率が高すぎて手に入らなかったけど、でも映画館のライブビューイングだって充分楽しみだ。


六時の開演に絶対遅れたくなくて、一時間前に映画館の併設されたショッピングモールに着いた。


そういえば終演は何時ごろなんだっけ。

ここは家から近くないからあんまり遅いとお母さんに心配をかけてしまうかもしれない。夜、遊びに行くのは初めてだから勝手が分からなくてどぎまぎする。ライブを前に緊張して来たのかお腹の中が空っぽな気もして来た。日の落ちた狭い空の下で視線をさまよわせていると、右手にステーキ屋があるのが見えた。

今日は贅沢しちゃおうかな。



『ライビュ楽しみ』

ステーキを待つ間スマートフォンを握ってそう投稿した。タイムラインには同じくライブを楽しみにするファン仲間たちが口々に高揚感や緊張を綴っている。それらを続けざまに「いいね」する。それから、私がさっき発信した『今日のために生きてた!』という言葉を確認してみる。いいねゼロ。思わず眉を寄せる。


少し前まで他愛のないひとりごとをSNSで発信すると、よくビターシュガーについて話す人たちから「いいね」や返事がすぐに来ていたはずだった。だけど最近は反応がめっきり減った。


その理由に心当たりがないわけではない。

SNSの仲良しコミュニティというのは学校と同じく同調圧力みたいなものがある。話題がどんなにサムくても、アップされたファンアートが幼稚園児のらくがきみたいでもみんな互いに大絶賛し合わなければならないし、ビターシュガーの曲のアレンジや似顔絵、楽屋裏を妄想した小説なんかが上手かったら、みんなでひれ伏して拝む。初めはごっこ遊びみたいで楽しかったそのノリが近頃なんだか窮屈になってきたのだ。

それに必要なのは褒め言葉だけじゃない。ファン仲間がモチーフアクセサリーを手作りしたらデザインが好きかどうかなんて関係なく二千円でも三千円でも買わなきゃいけない。駅前の三百円のアクセサリーだって少ないお小遣いと相談して買ってるのに結構きつい。でも、一度褒めちぎっちゃったらその手前買わないとお世辞ってバレバレになっちゃう。

そういうのが負担になってきたから、自分で不自然だなと思うようなお世辞を意識的に減らした。

それ以来SNSで繋がった人たちが他愛のない会話に混ぜてくれる割合が減った気がする。


だけどこんな馬鹿みたいなことってあるだろうか。だって私、明らかにわざとらしいチヤホヤをなくしただけなのだ。それなのに、みんな手のひらを返したみたいに冷たくなるものなの?

それともこれ被害妄想ってやつなのかな。みんなたまたまタイムラインを見てないだけなのかも。

きっとそうだ。それにしてもステーキがなかなか来ない。早くしないと公演が始まっちゃうのに。




「すみません、Jの四番ってこの列の向こうですかね」

抑え気味に絞り出した声が少し上ずった。

「ええと、ここはJ列だから、たぶん。ね、そうだよね……

「うん、まあ……

映画館の座席に腰かける女性二人組に、すみません、ありがとうございます、と頭を下げると、ずらりと並ぶ赤い椅子の前の狭い床に足を踏み出した。横並びの観客たちがゆったりと投げ出されている足や荷物をどかしてくれるたびに心臓がきゅうっと縮むような感じがする。私のバカ、なんで一時間前なんて微妙な時間に、焼きあがるまで時間がかかるかもしれないステーキの店なんかに入ったんだろう。家で食べたことのないような高い肉を飲み込むように平らげて、急いで会計を済ませ、三番シアターに着いた時にはもう開演二分前だった。

ギリギリにせわしなく歩き回って既に席に着いていた人たちの邪魔をしたことに嫌気がさす。そしてそれ以上にむかむかするのは、普段、自分が余裕を持って席に着いている立場の人間だったら開演直前に滑り込んでくる人に対してとイライラするくせに、いざ立場が逆になると弁解したい気持ちになる、そんな自分自身の心根だ。


こういう身勝手なところが友達のいない原因なのかもしれない。両側の席にはみ出さないよう慌ててコートを脱ぎ、ぐしゃぐしゃと腕の中で丸めて雑にたたみながらそう思った。 


今から気をつけようと思えば少しは何か変わるだろうか。だけど私もう死んじゃったし無意味かも。どうだろう。中学の時は友達いたのになあ。







ライブは最高だった。


一曲目はビターシュガーのメンバー全員に見せ場のあるヒットナンバー。画面越しからも伝わる熱気にライブビューイング会場は沸き立った。間髪入れずに叩き込まれた新曲にワーッと地響きのような歓声が上がる。

初めは画面に向かってコールアンドレスポンスをするのに気恥ずかしさがあった映画館の観客たちもすぐに興奮の渦に呑み込まれた。ビターシュガーの生でのパフォーマンス力や演出、セットリストは完璧で、私はその間、先ほど気落ちしていたことを忘れていた。


だけどそれもゲストの演奏が始まるまでのことだった。

スペシャル・ゲスト」

スクリーンに大きく文字が映し出され、スモークが焚かれる。やってきたのはテレビの音楽番組で評論担当としてたまに姿を目にしたことがあるおじさんバンドだった。確か名前は「ケツァルタイガー」だった気がする。正直少しがっかりした。私はビターシュガーの演奏が聴きたくて来たのに。


要するに、ビターシュガーのメンバーたちが休憩する間の場つなぎなんじゃないの。

心の中で、思わずそう呟いてしまった後胸がちくりとした。なんだか嫌な気持ちだった。


ケツァルタイガーは、自分たちがビターシュガーの大先輩でいかにビターシュガーを世話してやったかについて校長先生の話みたいにくどくど話した後、酒で潰れた声でへたくそな歌を披露した。


スクリーンの中で、夜の街に散る蛍光灯みたいなペンライトの白色が機械的な動きで揺れているのを椅子にもたれてぼんやりと眺めていた。


ケツァルタイガーの目があるライブ会場には、彼らのメンツを潰さないよう一応盛り上がらなければならない、という義務的な感情がざらついたムードに乗って充満しているのが見て取れる。もし盛り上がる素振りを見せなかったら気を悪くしたおじさんたちにビターシュガーがいびられちゃうかもしれないしね。その一方でケツァルタイガーに見られていない映画館にはそういう雰囲気はゼロ。みんなしらっとした様子でトイレに行ったりだらっと座ってポップコーンを食べたりしている。そのことにまた胸がちくりと痛くなった。

人間ってたくさんいても「ノれない」って感情であっさり他者を切り捨てるときだけ妙に団結してしまうんだな。つらさとか気まずさとかそういう感情は複雑で鮮明なのに、なんで加害性みたいなものはこんなに自然で単純で強いんだろう。


膝の上で祈るように組んだ指先が痺れるように痛かった。

ゲストの時間が終わり、再びビターシュガーが登場する。また楽しくなる。立ち上がって手を振ったり声を出したりする。ヘッドバンキング、ツーステップ。私たちリモコンで動きも感情も操られてるみたい。


ボーカルのカズが、ヒップホップとのミクスチュア・ロック(という種類の音楽だってことを、以前カズのインタビュー記事で知った)で驚異的な滑舌を披露して観客を最高潮に沸かせた後、再び画面が「スペシャル・ゲスト」の文字でいっぱいになったのでうんざりした。楽器が舞台袖に吸い込まれるようにして片づけられ、代わりに黒い山高帽を被った男の人が一人、舞台の真ん中に姿を現わす。

「あ」

思わず、そう叫びそうになった。私はこの人を知っている。


群れてる奴らに向ける拳を。

学校帰りの電車の中で初めて聴いて心を揺さぶられたビターシュガーの曲。

ビターシュガーは基本的にメンバーが作詞作曲してるけど、あの曲の歌詞を書いたのは、この「ヒラナリ」というシンガーソングライターだってことをビターシュガーのファンになりたての頃知ったのだ。私は音楽に疎いから知らなかったけど、音楽界の鬼才と言われている一匹狼のヒラナリがミーハーなファンの多い新人バンドのビターシュガーに歌詞を提供したのはかなり異例のことだったらしい。ネット上で、最近自分の曲が売れていないから金のために仕方なく旬のバンドの歌詞を書いたのではないか、とかなんとか色々なことが書かれているのを見たことがある。


ヒラナリがマイクチェックをする様子を固唾を呑んで見守っていた。すごい、ヒラナリだ。私を生き返らせてくれたあの言葉を生み出した人がそこに立ってる。こっちを見てる。体じゅうに震えが走った。


「楽しいですか!」

観客席に向けてヒラナリが叫んだ。他の観客たちと一緒にワーッと声を上げる。楽しいよ。日常がつらくても、自分が嫌になっても、世の中が理解できないことばかりでも、ビターシュガーの曲やヒラナリの言葉が耳に届く瞬間だけ私は息を吹き返す。はたから見たら私は、体の腐ったゾンビみたいにみっともないかもしれない。それでも、生きていいのかな、そう思えるから、だから……


……楽しいですか」

え?

一瞬、固まった。ヒラナリの言葉。先ほどと同じ、だけど明らかに侮蔑を含ませた嘲笑混じりの言葉。


俺は音楽には人一倍こだわってきたんだけどさ、ビターシュガーみたいに器用に自分を売り込めなくて苦労して。そんなことをヒラナリが話し始めていたけれど、うまく耳に入らない。一言一言が遠くでぼやけて聞こえる。それなのに私エスパーになったんじゃないかなってくらいヒラナリの言わんとしていることが分かる。


そうですか、楽しいですか、いいですね。音楽の良し悪しも分からず俺の苦労も知らず呑気にはしゃいで、馬鹿みたいだよお前ら。


カッと顔が熱くなった。ヒラナリは自分が今から歌う曲について専門的な言葉をたくさん用いて説明した後、「まあ言ってること分からないと思うけど」と冷めた感じで笑った。

お腹の底がぎゅっと押しつぶされたみたいになって涙が出てくる。分からないよ。分からない自分が恥ずかしくもあるよ。でもヒラナリの言葉をきっかけにして前より音楽について知りたいって、そう思ってた。それじゃダメなんですか?


マイクを握り直してヒラナリが歌った。いい曲なのに、質の高いパフォーマンスなのに、心に全然響かない。

ヒラナリの気持ちは分からないでもないと思った。ビターシュガーのメンバーはイケメン揃いだから顔ファンもかなり多い。そうじゃなくても私みたいに音楽に詳しくないファンだって山ほどいる。エイトビートって何?そんなレベル。


だから、ねえ、ロックのいろはも分からないファンたちの前に場つなぎとしてのこのこ出て行って「こいつ誰?」って切り捨てられるのが怖かったんでしょう。だから自分から先に聴衆を切り捨てようとしたんでしょう。まあ本人にこんなこと言っても「バカじゃねえの」って否定されるかもしれないけど。

「バカじゃねえの。俺はな、薄っぺらなお前らを心の底から軽蔑してるだけなんだよ」 


ヒラナリがそう言って強がる様子を思い浮かべる。私は想像上のヒラナリに反論する。嘘だ。透けて見えるよ。ダサいくらい透けて見えるんだよ。それからマイクを手にしてこう叫ぶ。 


——この世でお前だけが不幸みてえなツラしてんじゃねえよ!


ヒラナリの痛みは分かる。分かるけど、この気持ちをぶつけたくてたまらなかった。

悔しい。ライブを観に来た人の中には私よりもっとつらい日常を送っていて、それでも今日のライブを楽しみに頑張ってきたような人たちも絶対いるはずなんだ。そんな人たちの気持ちを踏みにじってんじゃねえよ。他人を傷つけることも厭わないくらいステージに立ちたくないなら立たないでよ。ネットに書かれてるみたいに、お金に困っているのなら街角でビラでも配ってて、お願いだから。


悔しい、悔しい。言いたいことは山ほどあるのに、もし私が今それを叫んだってヒラナリには届かない。ヒラナリはこっちに向かって好き勝手言ったくせに私は薄っぺらいスクリーンの前で馬鹿みたいにペンライトを振り続けることしかできない。それがやるせなくてたまらなかった。やっぱり私、ユーレイだ。


音楽が鳴り止みゲストの時間が終わった。もう一度ビターシュガーが登場し、人気曲を二つ披露して、ライブは終わった。


途切れぬ拍手喝采と共に徐々に劇場が明るくなってくる。「すごく良かったね」という賑やかな声や笑い声の中、私は一人だった。話す相手なんていない。私だけがどこまでもひとりぼっち、そんな気分だった。


乾いた唇を舐めるとさっき食べたレモンソースの味がした。浮かれた気持ちで一人ステーキを頬張っていたさっきの自分の姿が急に滑稽に思えてきて死にたくなった。


橙色のさざめきから逃れようにして席を立ち、劇場ホールを出て映画館を後にした。コートの襟をかき合わせながら駅へと続く連絡通路を早足で歩いていた。けれど、夜の暗闇が急行列車発車のアナウンスで濁った瞬間ふいに力が抜けて体が止まってしまった。


鞄から特に意味もなくスマートフォンを取り出してSNSをチェックする。いいねゼロ。外の空気は冷たいけれどライブで盛り上がったタイムラインは人いきれでむせ返っていた。 


住んでるところ近いみたいだし一緒にライビュ観られるかもねと話していたユミさんは、「ライビュすごすぎて、友達とすごいね! ってばっかり言ってる。語彙力消えたわ笑」と言っている。年が近くて、学校で浮いてるところも同じのモモちゃんは、SNSの他の子たちとファミレスで感想大会だって。ビターシュガーの曲にインスパイアされた痺れる小説をよく書いているカナコさんは、「神! 最高すぎて泣けてくる」という言葉を添えて、一枚の絵を紹介していた。ライブに臨むビターシュガーのメンバーたちを描いた絵は、とても上手くて、一万以上いいねがついてる。でもこの絵を描いた人は気にくわないファンへ暴言を吐いたり他の人の漫画を平気で丸写ししてばれても開き直ったりしているので有名な人だ。それなのにその絵には、あなたが神様ですとか、大好き、一生ファンですとかいうコメントが山のようについている。


映画館で観たヒラナリの姿を思い起こした。私はさっきヒラナリに、金のために嫌々マイクを握るのはやめてほしいと思っていた。だけどもしヒラナリが自分の心に正直に生きていたら私を救ってくれたあの曲は生まれなかったかもしれない。この絵もきっと同じように、作り手がどんな人間であれ絵自体の素晴らしさによって誰かの命を救っているのかもしれない。 


頭を抱えた。


人を傷つけるクソみたいな人間でも突出した華やかな能力があれば神様って跪かれて生を渇望されるのか。そうだよ、だから悔しかったら努力しろ。言い訳する時間がもったいないだろ。努力って何のための努力なの、何がしたいかなんて全然分からないよ。私はただ他人に生を許されるために、ペンを取らなきゃいけないのか。楽器を持たなきゃいけないのか。そういう言い訳ばっかりだからお前はダメなんだ、あの偉人を見てみろ、こんな偉人だっている、みんな貧乏のどん底にいながら死にものぐるいで努力してのし上がったんだ。人間やればなんでもできるんだ。甘えるな弱虫。だけど命は大切にね。みんなあなたの味方だよ。自分に優しくしなきゃダメじゃない。迷惑のかからない自殺なんてないんだからとりあえず生きとけよ、それでどんだけ苦しくたって私たちには関係ないけど。


たくさんの声が頭でガンガン鳴り響いて窒息しそうだった。

これは、他人のふりをした私の声?それとも私のふりをした、世間とやらの声だろうか。分からない、分からない……


命の価値ってなんなんだろう。みんな平等なんて嘘っぱちだ。人なんて気にせず生きてやれ、そう思うけど心が弱った時にはやっぱり周りの人に寄りかかって助け合って生きていたいよ。


なんで私には友達がいないんだろう。

コミュニケーションが下手だから?自分では気づいていない致命的な欠陥があるから。自分の痛みには敏感なくせに他人のことになると平気で切り捨てられる、そんな冷たい人間だから。でも、他人を助けることができる才能があればそんな細々とした問題なんて関係なく私は人とつながっていられるんだろう。そうじゃなかったら私は自分自身をすり減らすしかないのだろうか。他の人にとって気持ちのいい言葉を提供し続ける機械になって「優しい」だの「気が合う」だのという言葉を両手に抱えた壺に投げてもらうのはもう嫌だ。


握りしめたスマートフォンの、ブー、という振動で我に返った。

通知一件。お母さんから。


「ライブ、楽しかった?」

知らない誰かの家の灯りが、視界の端で揺れる。


楽しかったよ。そう返信しながら、私は少し泣いた。






朝に生まれて夜に死ぬ〜カウンセリングを受けた話



今日、学生時代からお世話になっているカウンセラー兼ヒーラーのちゃこさんという方のカウンセリングを受けに行った。

カウンセリングといっても名前のように仰々しいことはない。薬品のにおいのする白く無機質な部屋でチェックシートの記入を迫られるわけではない。かといってヒーラーという言葉に滲む怪しげなオカルト要素もない。


ただ、緑がきれいな部屋で手料理とお茶を振る舞ってもらいながら、長い人生経験を有するちゃこさんとおしゃべりをし、本音を引き出してもらうだけ。

第六感を含む観察眼に基づいた的確であたたかな、しかし押し付けがましくはないアドバイスがとてもありがたい。


最近キャリアのことで悩むことが多く、いろいろお話ししたのだが、目から鱗が出た言葉を頂いた。


「みんな、自分のやりたいことを後回しにするのね。自分がいつまでも生きてるという感覚があるから。だけど、時間は有限なんだよ。その日の朝に生まれて夜に死ぬのだとしたら何がしたいか、考えて、書き出してごらん。それで、できることからやっていったら、自分の軸ができていくから」


私は、書く仕事、文化に携わる仕事に憧れつつも挫折し、あれこれ遠回りしていた。けれどちゃこさんの言葉ではっとした。


朝に生まれて夜に死ぬ、凛として素敵な言葉だなと思う。


ちゃこさんはまた、気負わず書きたいことを書けばよいと言ってくれた。その言葉はずいぶんと気持ちを楽にしてくれた。


そういうわけで、今夜死ぬ今日の私は、文章の巧拙や反応を気にせず楽な気持ちで文章を発信することにした。

まず初めにこの言葉をシェアできたら嬉しいな、と思う。